1840-1931。享年91歳。 ※満年齢
【しぶさわえいいち】

1840(天保11)年 0歳
武蔵国榛沢郡血洗島村(現・埼玉県深谷市)で誕生。
1853(嘉永6)年 13歳
家業の藍葉買い入れ、藍玉製造に従事し始める。
1856(安政3)年 16歳
岡部陣屋にて御用金を申しつけられる。
1858(安政5)年 18歳
千代と結婚。
1863(文久3)年 23歳
高崎城乗っ取り計画を中止後、渋沢喜作と京へ出奔。
1864(元治)年 24歳
一橋家へ出仕する。
1866(慶応2)年 26歳
徳川慶喜が15代将軍となり、栄一は幕臣に。
1867(慶応3)年 27歳
パリ万国博覧会の幕府使節随員となり、ヨーロッパへ渡る。
1868(明治)年 28歳
フランスより帰国。静岡で徳川慶喜と面会。
1869(明治2)年 29歳
明治政府へ民部省租税正として出仕する。
1870(明治3)年 30歳
官営富岡製糸場の設置主任となり、建設計画を推進。
1873(明治6)年 33歳
大蔵省を退官する。第一国立銀行総監役につく。抄紙会社を創立する。
1878(明治11)年 38歳
東京商法会議所を創立し、会頭に就任。
1879(明治12)年 39歳
王子の飛鳥山邸が完成。前米国大統領グラント将軍の歓迎会を開く。
東京養育院の院長に就任。
1882(明治15)年 42歳
妻・千代が死去。
1883(明治16)年 43歳
伊藤兼子と再婚。
1885(明治18)年 45歳
共同運輸会社と郵船汽船三菱会社の合併に関わり、日本郵船会社を設立。
1887(明治20)年 47歳
帝国ホテル創立にあたり、発起人総代となる。
1890(明治23)年 50歳
貴族院議員に選ばれる。
1891(明治24)年 51歳
東京商業会議所会頭に就く。
1900(明治33)年 60歳
男爵となる。
1902(明治35)年 62歳
妻・兼子と欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。
1909(明治42)年 69歳
大多数の関係会社・団体などの職を辞する。渡米する実業団に参加。
1913(大正2)年 73歳
徳川慶喜死去に伴い、葬儀委員総裁となる。
1914(大正3)年 74歳
中日実業相談役となり、中国を視察する。
1915(大正4)年 75歳
渋沢同族会社を設立。パナマ運河開通博覧会視察のため渡米、ウィルソン米国大統領と会見。
1916(大正5)年 76歳
第一銀行頭取を退き、実業界を引退。理化学研究所創立委員長に就く。
1918(大正7)年 78歳
『徳川慶喜公伝』刊行。
1921(大正10)年 81歳
排日問題のため渡米、ハーディング米国大統領と会見。
1923(大正12)年 83歳
大震災善後会設立に携わり、副会長に就任。
1931(昭和6)年 91歳
日本女子大学校校長に就任。飛鳥山自邸にて死去。
参考資料:NHK大河ドラマガイド「青天を衝け 前編」